考えない人。
ブログをサボってる間に季節が変わってしまったのでそろそろ更新しようと思った次第です。
寒さにかまけて外出を極力避けて来たおかげで、運動不足からの免疫力低下。マスクを外したらあらゆる菌にやっつけられそうで、ビクビクしながら引きこもりをしていますこんにちは。
とは言っても学校とアルバイトは継続しているのでアクティブなひっきーといったところでしょうか。
自分ごとをダラダラと失礼しました。
久々の更新なのでどうやって文字数を稼ぐか忘れてしまったんです。なんちゃって。
寒さのせいで玉だけじゃなく脳みそまで縮こまっているんでしょうか。最近考えるのも面倒くさいみたいなんですよね。
というのも、思考を他者に頼って自分は指示を受けて動くだけのペットみたいな生活を送っていることに衝撃を受けたんですよ。
[タカラトミーアーツ 考えない人]
まあいつものようにコンビニでレジ打ちをしていたんですが、あるお客さんが購入済みのプリペイドカードを片手に困った様子で話しかけて来たんですよ。
どうやらPINコードを確認しようとコインで削ってみたところ、うまく削れずにコードが読み取れなくなってしまったからどうしましょというご相談。(←この手の詐欺には注意)
僕はコンビニで1年と半年は働いているのですが、この問題は初見だったので責任者に状況だけ伝えて回答を求めたんですよ。
で、あとになってこう思ったわけです。
考えるの面倒くさくなっているんだなと。
仕事に限らず問題を解決するときって、まず自分の頭で考える。次に自分の力で解決するのが難しい、または、第三者の意見が必要だと判断した場合は、自分がどこまで、どのように考えたかを伝えた上で、意見をもらい、どうすればいいのかを決定しますよね。
では、今回の僕の行動はどうだったのか。
第1のステップ、自分の頭で考えるをすっ飛ばし、責任者の指示を仰いだ。
本当に寒さって怖い。脳まで凍えさせてしまう寒さが怖い。
って寒さのせいにするのもまた思考の放棄。
僕みたいな低知能な人種は、考えるのは他者に任せて自分は他者の指示通りに動くという楽な道に走りがちなんですよ。ハイリスクですが。
そういえば面白い体験をしたことがあります。
清掃のアルバイトをしていた時、清掃用具の片付けを任されたんです。僕の他にも何人か片付けを任されて、そのうちの1人が「ある清掃用具を倉庫内のどこに戻せばいいか」を尋ねました。もう1人は「その清掃用具の片付け場所は倉庫内のどこなのか決まっているのか」を尋ねたんです。質問の内容に大差はないように感じますし、回答はどちらも「どこでもいいよ」だったんですけど、前者には怒りの感情を込めたように感じ、後者にはそれを感じなかったんですよ。これってたぶん「ある清掃用具を倉庫内のどこに戻せばいいか」は、相手の指示を待つ行為で、「その清掃用具の片付け場所は倉庫内のどこなのか決まっているのか」は、決まりがあるのならそれに従わないといけない、と考えた上で、それ以上は考えても分からないために質問したんだと思うんですよ。だから得られた回答は同じでも、相手側の評価は質問した2人の間で明らかに異なった。
気をつけていたつもりなんですけど、今回の僕のコンビニでの対応も前者の人と変わりないなと。
僕がそっち側の人間だから余計に思うことがあるんですけど、高知能な人は自分で考えようとしない人種がどうしたら自分で考えて動くようになるのか試行錯誤していて大変だな、と。
考えることが呼吸することと同じように無意識的に行える人にとって、頭を使わない人のことなんて理解できないじゃないですか。
だって呼吸しない人を僕は理解できないし。
多くの高知能な人を観察していると、低知能な人に自分の頭で考えていないことを自覚させるよう行動しています。
でも、低知能な人は、そのような高知能な人に噛み付いているんです。
不親切だとか、上から目線だとか、嫌味な奴だとか言って。高知能かわいそう。
僕は噛み付く度胸もない低知能なので、その度胸は羨ましく思います。同時に恥ずかしくも思うんですけど。
意外なことに、低知能な僕でも客観的に観察すると、三人称の低知能な人の行動を見ると恥の感情が芽生えるみたいです。
自分もその低知能な人に負けず劣らずの低知能なんですけどね。不思議。
そんなこんなでダラダラと思考を外注してしまった体験と気づきを綴ってきましたが、久しぶりなのでこの辺で終わりにしたいと思います。
無理すると免疫力の低下した僕の身体が壊れてしまうので。
女はいつまでも男を悦ばせるだけの性の玩具。
萌え絵やVtuberが問題になってる。
なんで今更こんな問題が出てきたのかは簡単な話で、ほんの数年前まで一部のオタクに受け入れられてきた文化が一般社会に浸潤してきたから。
個人的にはオタク文化の萌え絵なんてものは気持ち悪いです。
なんか無駄に性的に描かれている気がして嫌悪感があります。
あ、萌え絵好きの方々は気持ち悪くないですよ。萌え絵が気持ち悪いんです。
でも僕は男性なので「なんかキモい」程度の熱量しかないんですが、これが女性だった場合、「なんかキモい」では済まないと思うんですよ。
僕が萌え絵に対して抱く気持ち悪いという感覚は、虫の姿形や動作がキモいとか、小汚いジジイがキモいとかの気持ち悪いに似ていて実害がない。
けど女性から見た萌え絵には、女性もしくは少女が男性に性的に搾取される気持ち悪さがあるんじゃないかな。
実社会、リアルでも男性による女性の性的搾取は存在するわけで、それをアニメ絵ではあるにしろ似たような構造を作り出してしまう萌え絵には、男性の僕からみた「なんかキモい」とはまるで別物の気持ち悪さと危機を感じるんじゃないのかな。
陽に当たるような存在でなかったから萌え絵はオタクにだけ愛されてきた。
でも今では、街中いたるところで萌え絵が目に入ってくる。
そりゃ問題にもなるわ。
この問題が長く続いている原因は、肯定派と否定派の争点が異なるから。
萌え絵、Vtuber肯定派は表現の自由を訴え、否定派は性的に搾取されていることを訴えている。
もしも否定派が「なんかキモい」から反対しているんだったら話にならないけど、少なくとも否定派の中の女性たちはすでに述べたような根拠に基づいて反対しているんだと思う。
だから「なんかキモい」程度の感覚でオタク文化を全否定しているわけではないということを、肯定派はまず受け入れないと問題の終着点を見失ってしまう。
別に萌え絵の表現を抹殺することが目的じゃない。
数年前のように、一部の人たちに受け入れられていたようなオタク文化として存続することは構わないんじゃないかな。
書店でずらっと並ぶ萌え絵には、相当な攻撃力があることを自覚してほしい。
「嫌なら見なきゃいい」が通用したのは萌え絵がオタク文化として存在していたから。
一般社会に浸透した萌え絵は、防ぎようのない暴力にしか映らない。
最後にもう一度、萌え絵好きの方々は気持ち悪くない。萌え絵が気持ち悪いんです。
ゲイを生きづらくさせるゲイがうざい。
うざい記事を発見した。
「生産性」発言には複雑な思いを抱いたが、それに対する世間のバッシングの激しさには違和感を感じた。「ついこの間まで同性愛者を気持ち悪いものと見ていた人は多かったと思う。それを忘れたかのように怒っている世間に対し、『本当に皆、杉田議員を批判できるのか』と思った」
勝間和代さん「人を差別し傷つける自由はない」新潮45:朝日新聞デジタル
引用はゲイの当事者である男性から語られたものらしい。
杉田水脈氏の「LGBTには生産性がない」とそれに対する世間の反応について答えています。
なんでわざわざこんなこと言うの?
別に心の中でLGBTを気味悪がった人たちを憎むのは勝手だけど、自身のコメントがメディアに取り上げられるような人がこんなこと言うなよ。
LGBTを理解しようとしてくれている人たちに喧嘩売ってなにがしたい?
闘う相手が違うだろ。
確かに杉田水脈氏を叩いている人の中には、ついこないだまで彼女と同じ穴の狢だった人もいるかもしれない。
でも杉田氏の発言がクレイジーで無知なのは確かであるのに、彼女と同類だった人たちは彼女を批判しちゃいけないの?
理解の次は過去の清算を要求するんだ。
このブログでは何度か、セクシャルマイノリティーは個性と言ってきた。
人の個性を嗤うなんてみっともないと。
でも、あんなの嗤われるのがうざいから言い返しているだけ。
実際、自分と違う特性を完全に理解することなんてできないし、予想外の相手から好意を向けられるのははっきり言って気持ち悪い部分もあると思う。
なんでノーマルの方々の中にはLGBTに対して理解を深める姿勢を示してくれている人や、例え理解が難しくても差別意識を持たずに(もしくはそういった意識を封じ込めて)接してくれる人がたくさんいるのに、LGBTの当事者がノーマルの気持ちを推し量ろうとしないの?
傷ついたのは自分で、傷つけたあいつらが悪いから?
いつまでも被害者のつもりでいじけてるのならそれ自体否定するつもりもないけど、LGBTが少数派である以上、一人一人の意見はどうしてもある程度の力を持ってしまう。
だから傷ついた自分がいて、傷つけた相手が味方を気取ることがどうしても気にくわないのだとしたら、ゲイの看板を下ろして一対一で闘ってください。
ゲイの総意があなたの発言に込められてると誤解されると、なお生きにくい世界に近づいてしまうから。
子は親を選べないとか言うのもううんざり。
ロッカーに乳児を遺棄する事件。
ただただ痛ましい。
大概この類のニュースには、子どもを育てる覚悟だとか責任のない親の元に生まれた、ただただ不幸な子という評価がなされるか、子どもを育てて行くことがアルティメット級の難易度である社会にも問題があったという憂いの声があがる。
僕自身似たような感想を持つ。
でも疑問に思うことが、なんでロッカーに遺棄するのか。
それはもしかしたらもしかすると、親側にどうしても拭うことができない罪悪感があるからじゃないのかな。
例えば僕が赤ちゃんを殺す立場であったなら絶対にロッカーに遺棄しない。
遺体そのもの、もしくはその一部がこの世界に残っているだけで不安でしょうがないから。
いつ発覚してもおかしくない状態のまま、毎日食って、寝て、働くのは非常に難しい。
だから遺体が見つからないように燃やすなりなんなりして、この世から存在そのものを消そうと試みると思う。
でも乳児をロッカーに遺棄する親はそれをしない。
僕には、罪悪感以外の答えが思い浮かばない。
自分の手で直接的に殺すことはできない。
でも死んで欲しい。
また、遺体が発見されないまま自分がのうのうと生きていくこともできない。
こういった心理が働いて、おそらく親は子をロッカーに遺棄するんだと思っている。
でも本当に子を殺さなければならないのか。
なぜ自分の子を自分の手で育てられないと自覚した段階で、(子を殺すのではなく)育てることを放棄できるシステムが機能しないのか。
最初に言ったように、子どもを育てる覚悟、責任のない親の元に生まれ、挙句殺されてしまう子を見るのは心苦しい。
でも、非難を子殺しの親に向けたところで殺された子どもは戻ってこない。
子育ての能力が無くても子どもを育てていける仕組みや、それも難しいのであればいっそ親が子を捨てられる仕組みを構築しなければ、この痛ましく、悲劇的なニュースは絶えることなく報じられるんじゃないか。
親元で暮らす子が幸せで、そうでない子どもは不幸せであるのならば、そんなシステムは害でしかない。
でも、現にこうして子が亡くなっている。
悲劇を目の当たりにしている。
こんなことが起きてもまだ、親元で死ねて幸せだったねと言えるだろうか。
そんなのおかしくないか。
例えば僕の予想が当たっていて、子をロッカーに遺棄する親に少しでも罪悪感が芽生えているのであれば、子が亡くなることは親だって望んでいない。
もしも子を育てる環境が整っていれば、こんな悲惨な事件が起こらなかったのだとしたら、そこまで追い込まれてしまった人たちを救うことができなかった、僕を含む社会全体にも責任があるんじゃないかと思いました。
正義感とかそんな安いものではなくて、単に自身に同じ事態が降りかかるのが怖いから。
ここです、ここです。ここにカモがいますよ。
いやー、順調に涼しくなっていて嬉しい限りですね。
夏は4年に一度、W杯や五輪と同じペースでいい。毎年恒例はきつい。
でも蝉の声が聴こえなくなって、夏の終わりを実感するとやっぱり少し寂しいですね。
秋の虫の音は風情があってそれはそれで楽しいんですけど。
あ、田舎者の独り言ですごめんなさい。
田舎はよく虫が鳴きます。
虫かババアしかいないので。
季節の変わり目にはアパレル業界がこぞって新作を打ち出すので、早速ショッピングモールに足を運んできまして。
まあどこも買わせる気が全くない。
シャツ一枚に2000円以上もかけられない、もったいないの化身である僕には手も足も出ない。平伏すのみでありました。
でも、こんな庶民寄りの貧民の僕にも優しいものがあります。夏物売り尽くしセールです。
セール万歳🙌
目的は秋物のあったか〜いアウターでしたがそんなことも言ってられません。
金のないやつは夏に売れ残ったセール品の中から掘り出し物を見つけるしかないんです。
でもやっぱり見つかりませんで。
そのショッピングモールは2000円以上の買い物をしなければ、1時間につき200円の駐車料金を取るという後に引けないシステムを構築し、金を貪り取る絶望要塞でした。
まんまと店側の狙い通り、来たからにはなにか買おうという心理に追い込まれた僕は、何を血迷ったか1万4千円のもっこもこのアウターを購入。
畜生!!!
欲しかったけど!
なんだろうこの欲しかったものは手に入ったけど、負けた感覚。
完全なる敗北。
圧倒的店側の勝利。
戦略負け。
おまけにポイントカードまで発行されて、次回来店時に使える500円引きのお買物券まで受け取ってしまった。
強すぎた。
このお買物券を使うためにまた来てしまう。
その度にまたお得なクーポンを渡され、この店のパトロンになって行くんだ。
なんたって相手側の戦略が盤石だから。
手ぶらで帰らせないための駐車料金という足枷。
一度店内に入り商品を手に取ったら最後、試着室に放り込まれ、購入に至るまでおだて上げられる地獄。
2点購入で値引きなどという甘い言葉での誘惑。
とどめと言わんばかりにお得なクーポンの発行。
相手が悪すぎた。
これだから一人で買い物するのは嫌だったんだ。
もう秋は家に引きこもろうと思う。
怖いな、怖いな、人間って怖いな。
こ、これは、、、ウォシュレット以来の逸材だ!
ここ二、三日の急激な冷え込みで絶賛風邪っ引きでございますどうも。
運動の習慣がないので体力が落ちて、免疫系も虫の息なのでしょうね。
両手を天に掲げたら全国民から元気を分けてもらえるどっかのサイヤ人がうらやましい。
こんな風邪っ引きの駄ブログですどうぞよろしくお願いします。
先日、羽田空港の方でお手洗いをお借りした際に感動したことがありまして。
それがこちら↓
洋式トイレの便座シート。
感動しすぎて写真撮っちゃった。
ついでに小汚いスニーカーも写っちゃった、わーい。
ほんとに汚いな。
今まで抗菌スプレーみたいなので便座を綺麗にするタイプがあったんですけど、あれってどうでした?
僕は正直信じていなくてですね。
何度も何度も拭いた上に、トイレットペーパーを便座の形状に合わせてV字に折って、自作便座シートを作っていたんですけどこれが面倒で面倒で。
実際そんなにも気にするのは病気の域なのは百も承知なんですけど、あれだけ汚い汚い言われたら誰だって気にするでしょう。
全てはハンドソープとか抗菌シートとかのCMのせいだ!
菌なんて見えなければ怖くなかったんだ!
でも見えちゃったんだ!
お化けと一緒だこんなもの!
ってな感じで面倒な、拭く、折る、敷くのスリーステップを踏んでいたんですが、この便座シートはどうでしょう。
敷く、終わり。
スゲーーーーーーーー!!!
すごくないですか?
実際男性トイレの便座って汚いんですよね。
立ち小便する人がいるもんだからはねるはねる。
便座から床、壁まで菌だらけですよ。
お小水のほとんどが水分だとか知らない。
何その電子タバコの煙はほぼ無害だからみたいな暴論。
汚いものは汚い。
不快なものは不快。
でも便座シートは両者の終わりのない闘いに平和的に終止符を打ってくれたんです。
ノーベル賞あげたい。
空港とか、航空機内のトイレって先進的で、便座シートの他にも例えば、巨大トイレットペーパー。
これでもか!これでもか!ってくらい巻きに巻いた超特大サイズのペーパーがあるんですけど、これもおそらく航空業界が初めて導入したんじゃないですかね。わかんないけど。
ペーパーの交換回数を減らせる、清掃係に優しい仕様。
使用者と管理者、どっちもハッピーになれる仕組みです。はい、ベストアンサー。
もっと広まらないかな。
こんな小さなブログじゃ広められねぇや、ハッハー。
はぁ。
いけなかった話。
タイはバンコクからこんにちは。สวัสดี。
*文字化けではなくタイ語です。
日本では、台風の影響なのかなんなのか大雨に見舞われた地域が多数あったようですね。
21号が明日、上陸するようなので今後も注意してください。
さて、気づかいアピールはこの程度にして本文を。
以前にもこのブログで、僕は男性に興奮を覚える特殊性癖の人間だとお話しはしましたが、今までは憶測の域を超えていなかったので、自分のことをもっと詳しく知りたいと思い、大人のお店に足を運びました。といってもちょっとエッチなマッサージ店なんですけど。
そのお店は、一階は普通のマッサージ店のような店構えなのですが、階段を上がり二階に行くと、四部屋の個室とシャワールームがありました。
各部屋は、二畳から三畳くらいの大きさで、室内は薄暗いオレンジとピンクの中間色で照らされ、それなりにムードがありました。
部屋に入るとすぐに、全ての着衣を脱いでシャワールームに案内され、身体を綺麗にしたらいよいよマッサージが始まります。
肩から背中にかけてゆっくりと指圧していき、太腿、ふくらはぎも入念にマッサージされました。
10分から15分のマッサージの後、本番が始まりました。
1時間でお願いしたので、残り45分から50分がそのための時間に当てられたのですが、いくらやっても出ませんでした。
別に普段から出にくい体質だとか、相手の女性が好みでなかったとか、雰囲気づくりが上手くいかなかったとかではなく、気持ちいいけどいけない。
この体験で僕は改めて、自分はゲイである自覚が芽生えました。
ただ、セクシャルマイノリティーはLGBTの四つに分類できるほど簡単なものではなく、僕の場合は、男性に愛情の念を抱くことがないゲイです。(ゲイって言うのかな?)つまり、全てのゲイの方が僕と同じタイプではないということです。
でも、これは特に性的少数者に限らず、異性愛者の中でも各人の性癖があると思いますが、それと同じです。
僕は、女性ではいけないけど、男性を愛することもできない人間でした。
LGBT関連のネットニュースを見ていると、まだまだ誤った情報でトンチンカンな意見をしている人を散見しますが、特に難しいことはありません。
LGBTもまた、性癖の一つに過ぎないんです。
だから、異性愛者が異性に愛情を抱くように、同性愛者は同性に愛情を抱くし、両性愛者も無性愛者も同様に考えればいい。
ただ、そのなかで更に細かな性癖はそれぞれ抱えているので、LGBTのカテゴリーに入る人は皆同じ性癖を持つわけではない。(全く関係ないけど「入」と「人」をデジタル文字でも見分けやすく工夫されてるの素晴らしくないですか。関係ないけど。)
異性愛者の人同士でも、互いの性癖が完璧に一致しないように、性的少数者も同じなんです。
だから、他人の性を笑うのはみっともないのでやめましょう。
ちなみに僕は、少し前の杉田氏の「LGBTは生産性がない」の発言は、全然普通の意見だと思いますよ。
確かに杉田氏の話は、LGBTのことを全く理解していないと感じる発言がほとんどでしたが、生産性がないというのは正しいですよね。
実際、僕は女性相手ではいけないわけだし。
ネットニュースの見出しにもなっていた「LGBTは生産性がない」。
誰がこんな見出しで批判、バッシングを煽ったのか知りませんが、少なくともセクシャルマイノリティー当事者の方々は大なり小なり、このことは認めていると思います。
こうした批判は、当事者の目からしたらとても迷惑です。
このようなことで、LGBTって面倒だなと感じる人も多いんじゃないでしょうか?
繰り返しになりますが、LGBTも特殊ながら各人が持つ性癖の一部であり、言うならば個性です。
中にはそれが気持ち悪いと思う人だってたくさんいると思います。それはそれでいいです。
でも、偏った見方や先入観でLGBTはこう言う人たちと決めつけるのはやめてください。
テレビの世界では、多くのオネェタレントと呼ばれる方々が活躍されています。
顔立ちの良い男前な男性にオネェタレントが手を出すようなシーンを見かけることもありますが、あれはあくまで企画や演出です。
実際、当事者は顔が良ければ誰彼構わず手を出すようなことはしないし、マイノリティにだって選ぶ権利はあります。
僕はゲイですが、女性から誘われたことは何度かあります。
だから、思いもよらない相手から好意を寄せられることがどんなものかを知っています。
その度に、自分も相手も傷ついてきました。
そうした経験があるからこそ、性的少数者は慎重にパートナーを探すし、自分と同じタイプの人間が集まるコミュニティに出会いを求めます。
あなたのことはそもそも狙っていません。
最後に、この文章には故意にLGBTへの理解というフレーズを用いてきたため、嫌な気分や、面倒な気分になった方もいるかもしれません。不快に思われた方がいらっしゃいましたらごめんなさい。