私的人生観とかいう需要のないお話。

ブルーライトを50パーセントカットする強眼鏡を手に入れてから眼の疲れを感じない。

50パーセントカットありがとう。

こんなこと言ってる間に充電1パーセントになっちゃった。いつも、ブログ書きたい!って思う時バッテリーが虫の息なのは何の意地悪?

充電完了したのでまったり書きます。

いつもの通り電車に乗っていたら、車内の広告に人生の最適化がどうたらとかいうタイトルの書籍が紹介されていまして。

こういう本が売れるってことは、自分の人生に満足していない人が多いってことなんでしょうか。

執筆者は医学博士と投資家の二足のわらじで人生を最適化なさったらしいんですね。

本まで売れて三足のわらじですね。わーすごい。

およそ金に困ることはないでしょう。

でもこの方からわざわざご指導される必要あります?

自分の生きたいように生きればいいのに。

誰かモデルになる人って必要?

 

自分を導いてくれる存在ってありがたいですよね。

だって自分の人生をその人に丸投げして、失敗したらその人の責任だって言って逃げられるんだもん。

本当に卑怯な生き方だなぁって思うけど、そういう人たちのおかげで、この医学博士みたいな人が私服を肥やせるんですよね。

最後は他人の面倒なんてみてくれないのに。

札束かき集めたらさっさととんずらするよたぶん。

まあ1冊1000円くらいだろうし、ローリスクで手が出しやすいのか。

ローリスクゼロリターンだろうけど。

 

僕は自分の生き様を誰かに決定されるとか、誰かに導かれるとかいうのすっごい気持ち悪いと思ってしまうんですね。

なんでこの自由な時代に、自分の人生を誰かに託すのか。

そんな家畜みたいな生き方を望んでするのかが考えられない。

いいじゃん、自分らしく生きれば。

他人の人生の真似事して何が楽しいの?

金が欲しい?名声が欲しい?

なんだそれ。

社会に出たこともない僕みたいな中途半端な人間にはわからないだけ?

だったらそんなの一生わかりたくないわ。

 

このブログでも何回も言ってるけど、自分のことなんて自分で認めてあげるしかない。結局最後は自分。

自分の人生の責任くらい自分で取らないといけない。

結果がどうであれ、自分で選んだことなんだから仕方ないでしょ。

全部綺麗な言葉に聞こえる?

現実を見ない理想主義者の声に聞こえる?

 

あ、別に僕の言うような生き方しろとか言ってないですからね。

charinkobakaがこう言ったからとか責任なすりつけるのやめてくださいね。

僕だって他人の面倒見てる余裕ないですしやりたくないですから。

 

自分の人生の責任を持つのってそんなに怖いですか?

他人に自分の道を作ってもらう方が何倍も怖くないですか?

その人が道を作るのを途中でやめちゃったら、どこへ進めばいいんですか?どこに向かえばいいんですか?

 

別にいいじゃないですか。

人の命を救う医者じゃなくたって。

未来を作る研究者じゃなくたって。

自分のやりたいように自分の人生を設計すれば。

人と人の間に差なんてないですよ。

みんな違う特徴を持った同じ人間なんですよ。

人生何年かなんてわからないけど、自分が納得できる生き方をしてたら、明日終わりが来ようとも後悔なんて生まれないんじゃない?わかんないけど。

生きるため。

生物は生きるために他の生物を殺す。

殺さなければ自分が死ぬから。

だからそこに悲しみとか、怒りとか、哀れみとかを感じるのは違う。

ライオンだってシマウマを殺さないと生き残れないし、蜘蛛だって蝶を殺さないと生きていけない。

ある生物は、生存競争に生き残れる見込みのある子だけを育て、そのほかの子どもは見殺しにするらしい。そうすることで種の存続を守る。

人だってそう。

牛を殺して、豚を殺して、鶏を殺して、生き残るためには人だって殺す。

それは自分の生命が脅かされたから。

自分の命を守るためだったら迷いなく人だって殺す。

だからそこに悲しみとか、怒りとか、哀れみとかを感じるのは違う。

人間なんてちっぽけな存在で、1人で生きていくことなんて元からできない。だから大人に依存する。自分1人でも生きていけるようになるまで、大人の力を借りないと簡単に死んでしまうから。

でもこの閉鎖的で、圧倒的に力の差がある不自然な関係、環境で、自分の生命が脅かされた時、子どもはどうすればいいんだろう。

たぶん、大人を殺すんじゃないだろうか。

こうして生き残った人間を人殺しと呼ぶのは違うと思う。

餓鬼気分で21歳やってます。

早起きを習慣にしたい。

ちなみに昨日は13時起き。

怒りを通り越して、呆れをも通り越して、笑った。

とりあえず笑っておけばなんとかなるよね。

たぶん生まれてくる種族間違えたんだと思う。

コアラかナマケモノに生まれてくる予定だったんだと思う。

そしたら「人間かよ!」しかも「日本人かよ!」って神様もびっくり仰天だったと思う。

日本はダメだよね。せめてモスクワあたり。あそこだったら「冬眠中かな?」って優しく見守ってくれると思う。←そんなことない

前置きで200字使っちゃった。

ごめんなさい。

 

人間って不完全で(急に本編)、それは年齢によらず多くの人が不完全で、僕なんか特に不完全で。

っていうことを知っていたのに、理解できていなかった。

僕が自分の親が絶対的な存在ではないと気づいたのは小学校6年生の頃。

それが遅いかとかはよくわからないけど、とりあえず僕が気づいたのは12歳の時。

両親の仲が良くなかった時期で、日常的に離婚だとか、どちらの親の元で暮らすかとかいった話ばかりしてて、両親はお互いどんどん不干渉になっていって、話し合いは行われず、感情だけが先行していた。そんな感じだった。

そこで息子である僕は、両親の、大人の不完全さを知った。

でも知識として大人は完全な人間ではないと知っていながらも、どうにも僕がブログに書く内容は、そのことを理解していないように感じまして。

どこか「大人のくせに」とか「自分より年上のくせに」みたいな気持ち悪さがあった。

人間誰しも得意、苦手なことがあって、非の打ち所がない完璧な人なんて存在しない。

初対面の人と話すことが苦手な人もいれば、そうでない人もいる。

自分の感情を上手く伝えることができる人もいれば、そうでない人もいる。

こんなことは分かりきったことで、当たり前なことで、でも僕はそれすらも理解できていなかった。

コンビニでアルバイトをしていると、日々たくさんの人と接する。

1日に100人相手をすると、3人は感じの良い方、87人はそっけない方、残り10人は嫌なお客さんが来店される。

だいたいいつもこんな割合。

そしてその10人からピックアップして、1日の鬱憤を晴らすために、何度かこのブログでも文句を言った。

でも本当は、僕がその10人を作ってしまっていただけなのかもしれない。

21の僕が言うのもおかしな話ではあるけど、大人だって完璧じゃない。

不得意分野では、あれれ?と思うような言動だって平然ととる。

でもそれはその人の苦手であって悪いところではない。

自分が嫌だと感じたものを、それは悪だと考えるのは楽ではあるし、自分を守るための術ではあるけれど、それって本当は相手の苦手なところなんじゃないの?って考えてみると、随分人との付き合い方が変わると思う。少なくとも僕は変わった。

人間誰しも完全じゃないなら、その人の悪いところを見ようとすれば、いくらだって出てくる。

そしてその悪いことに注目すれば、イライラもするし、嫌になることだってあると思う。

でもそうじゃない。

それは相手の苦手分野なだけ。

数学が苦手、体育が苦手なこととなんら変わらない。

苦手意識を持っている人に、得意な人が「なんでこんなこともできないの?」って言ったって何も解決しないし、意味がない。

相手の苦手を知ることの方が何倍も大切。

少し寛容になって相手を受け入れてみると、嫌だったアイツが少し可愛く見えてくる。

結局は自分次第。

100人をどういう人間にするかも、ある程度自分にかかってる。

 

、、、あれ?不完全ならお互い支え合おうって書こうとしたつもりが、上から物を言う感じになっちゃった?

「廊下に立ってなさい」は科学的根拠に従ったものなのかも。

恐ろしい記事を発見した。

休日に動かない人ほど疲れが取れないワケ | 健康 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

この記事の内容は、動かないことが健康にどのような影響を及ぼすのかについて言及している。

日本の成人は平均して1日に約7時間座っており、これは世界一の長さ。

これはよく聞く話。

じゃあ僕は1日どのくらいの時間座っているのかを計算してみました。

06時30分 起床

09時00分 1限の授業開始

21時45分 帰宅準備

23時00分 帰宅

25時00分 就寝

えーっと単純計算9時から21時45分まで座ってるから12時間45分?

え?

嘘でしょ?

平均時間を5時間45分上回る記録!

東京マラソン2回完走できるんじゃね?トップの人。

これは大幅に見直す必要がありそう。

マジで洒落にならないレベル。

化け物。

座ってばかりいると血流ばかりか代謝も悪くなり、狭心症心筋梗塞脳梗塞、糖尿病のリスクも高まるとのこと。アメリカでは「Sitting Kills You」という記事も報道された。

Sitting Kills Youだって。

僕絶対殺される。

このままじゃSitting氏に殺される。

こんなに殺しやすい物件ないよね。

1日の半分は座ってて、約1/4は寝っ転がってるんだもん。

あと日本人の多くが7時間、1日の約1/3は座っているって結構深刻だよね。

小学校時代は授業の合間だったり、体育の時間だったり、放課後だったりに積極的に体を動かしていたけど、中学校もしくは高校に上がってから、携帯を持ち始め、休み時間は友達と駄弁るか、携帯いじるかだった人も多いはず。

ということは中高生から今現在の年齢まで、あくまで平均だけど7時間は座っている習慣が続いているってことで、多くの人がSitting氏の殺害リストに名前が載ってしまっているんじゃないか。

本来、体を動かすようにできている脳を有する人間が3時間以上座っていると、記憶力低下や注意散漫といった弊害が発生しはじめるといいます。

「体を動かすようにできている脳」とかはよくわからないけど、血流が悪くなったら脳に十分な酸素が行き渡らなくなるだろうから、脳が働かなくなるのは必然?

てことはやっぱり集中力も記憶力も落ち込むんじゃないかな。

3時間低酸素状態ってそりゃ十分に働かないよね。

僕もそんな中で勉強とかしたくない。

どんなマゾプレイよ。

脳に優しくしないとなー。

 

授業が60分だったり100分で区切られてるのってこうゆうことだったのね。

自習中、仕事中はぶっ通しで机に向かいがちだけど、一定の時間間隔でその流れを断ち切ることは、結果的に作業効率を上げるんだと改めて気づかされた。

授業中頭が働かなくなったら廊下に立たせてもらうのが良いのかも?

今はもう「廊下に立っていなさい!」は体罰認定されてしまう苦しい時代だけど。

 

その苦しい時代しか生きてないけど、おっちゃんの面倒くさいノスタルジーの真似事してみました☆

僕のすべり台。

最近気分が落ち込み続きで、イライラしがちだから、とうとう来たか!更年期!と思ってググったら、具体症状にmorning erectionの消失とあった。

まだ僕は更年期じゃなかったみたい。

 

ということで(どういうことで?)今日は僕の、人生舐めてるとしか思えない悩みをつぶやきたいと思います。やってみたかった「である」調で。

 

 

僕はなで肩である。

生まれてこの方ずっとなで肩である。

なで肩星人の僕はいかり肩にすごく憧れている。

いかり肩であるだけで男らしいからだ。

実際男性用トイレのマークも究極のいかり肩である。

なで肩のトイレマークを見たことがない。

なぜならなで肩は男らしさが感じられないからだ。

なで肩星人の僕はいかり肩にすごく憧れている。

なで肩ではリュックが背負えないからだ。

なで肩はサイヤ人スーツでも着なければリュックすら背負えない雑魚なのだ。

両側に備え付けられた滑り台を、今日も愉快に滑り降りていく。

なで肩星人の僕はいかり肩にすごく憧れている。

なで肩では服を着こなせないからだ。

マネキンは大概いかり肩である。

モデルは大概なで肩ではない。

だからどれだけいいなと思った服も、なで肩が着ると全然良くないのである。

 

もしこの世に神様がいるとしてたら是非とも聞いて見たいことがある。

なんで僕になで肩を授けたの?

 

きっと神様も雲の上でゲラゲラ笑っているんだろう。

いささか不満である。

 

 

P.S.こんなブログ書いてることバレたら、僕の就活は絶望的なんじゃないかと、真剣に思う。

「ウサギとカメ」のカメの生き方。

出来ない=劣っている

この考え方は人に生きにくさを感じさせる。

優劣、勝ち負けの世界で生きることはとても息苦しい。

実際にどれだけ自分が成長していたとしても、他者との比較で自分の現在の立ち位置を認識してしまうと自分の成長に気付きにくくなる。

昨日出来なかったことが今日は出来るようになった。

これは大きな成長なんだけど、「あいつはもうあんなことが出来るようになったのに、俺はまだこれしか出来ない」という風に考えてしまえば、それは自分が劣っているという意識を生んでしまう。

この意識がプラスに向くのならまだ良いのかもしれない。もう少し頑張ろうって。

ただ、これを劣等感とか、負い目とかと結びつけてしまうと、相手を妬んだり、自分を否定したり、やっていることを放り出したりしてしまう。

これはすごく悲しいことだと思う。

対人関係で最も怖いのは、対戦相手のいない競争を始めてしまうところ。

本当は昨日までの自分を好敵手として前に進んで行ければ良いのだけれど、一度視界に入ってきた自分よりできる人をおいかけてしまうと自分がどこへ向かえばいいのかを見失ってしまう。

それはあくまで相手はゴールが定まっているからそこに向かって歩を進めるけれど、自分は相手よりも前にいたいだけだから、その先に自分の叶えたい目的、目標はないため。

なんでこんなことが起きてしまうのか。それは出来ないことを劣っていることだと考えてしまうから。

 

そもそも自分と相手の能力差なんてどうでも良いことだ。

自分がやりたいこと、なりたいものに向かう途中に、他者はあまり必要ではない。

自分は自分だし、他人は他人に過ぎない。

そこに能力の差があったからなんだという話。

能力がないと気付いたら出来るようになるまで練習する。

出来るようになったら自分を認める。

そして、そこから得た自信を次へ踏み出す活力にする。

どこにも他人が入り込む余地なんてない。

 

競争に巻き込まれてはいけない。

挑発に乗ってはいけない。

自分の道を自分の足で着実に歩いていけばいい。

目標なんて本当はそう遠くないところにあるんだから。

 

思考よ、止まれ。

今日も暑くて暑くて病み上がりの僕には非常に厳しい気候です。

北海道に避暑しよう。

ということで、1泊2日で北海道に行くことになりました!!!

とてつもなく読者の関心をそそらない内容だとは自覚していますがご容赦ください。

 

話は180度変わって、僕は何をするにも頭でっかちになってしまいがちなんですね。しかも悪い方で。

思考タイプの性格なんですかね。

直感とか、感覚とかでアクションを起こすことはまずない。

何をするにも考えてから。

だからこれまでたくさんのチャンスを逃してきたし、閉塞感、孤立感に苛まれることも珍しくなかったんですよ。

友人関係を築くのが苦手って話はこのブログでも何回かしていると思いますが、これもそう。

もし相手に傷つけられたらとか、相手を傷つけるようなことがあったらとかを考えてしまう。ようは極度のビビり症なんです。

今回の北海道旅行も友人の発案で行くことになったんですが、メンバーにかつて傷つけてしまった相手がいまして。

僕と彼以外はそのことを知らないので避けようがなかったのですが。

で、僕は親友だった彼とは金輪際関わることを断とうとずっと思ってきました。

 

ブログを通してセクマイの話をしたことがあったと思います。

以前の僕はすごく自分のことを否定して生きてきました。セクマイであるという事実を隠してきました。

でも親友である彼ならわかってもらえるかもしれないと、事実を打ち明けました。思考タイプとか言っておきながら、1番楽で愚かな選択でした。

予想通り彼は「セクマイであろうとなかろうと、お前は良い奴だと思うからそんなことはどうでもいい。友達でいることと、お前がセクマイであることは関係ない。」と優しく接してくれました。

でもこのことが僕を苦しめた。

僕は自分で抱えていた重圧を彼にも背負わせてしまった。

そう考えて自己嫌悪に陥りました。

彼は地元を離れ、大学生として新しい生活を始めたため、僕と会う回数は極端に減りました。

会わない時間が全て解決してくれる。

そう思っていましたが、いつまでも自分の心の中に彼に対する罪悪感は消えることはありませんでした。

 

でも僕は高校卒業後の2年間を通して、少しずつ自分を変えてきたつもりです。

 

まず最初に自分がセクマイであることを認めることから始めました。

天地がひっくり返っても、僕がセクマイであることは変わらない。

どれだけ蔑まれても、どれだけ馬鹿にされても、どれだけ嘲笑されても、自分は自分でしかない。

自分のことは自分で認めてあげるしかないんです。

真っ先に自分のことを自分で否定して、誰が認めてくれるっていうんですか。

そう思ったら次第に勇気が湧いて来るようになりました。

僕は現在セクマイであることは彼を除いて話したことはありません。

そして、自分が楽になるために、大切な人にまで十字架を背負わせてしまうことは愚かだと、今の自分なら言えるようになりました。

 

次に僕は、歩み始めた後に考えることは一切やめました。

僕はネガティブな人間で、考えれば考えるほど、一抹の不安が10にも100にも増大してしまう。

だから目一杯考え抜いて、自分が1番納得できる、悔いの残らない選択を決めたら、振り返らずに最後までがむしゃらに走りきることにしました。

がむしゃらって最強なんですよ。

考える隙がないくらい一生懸命にいるだけで、いつもみたく不安や孤独に押しつぶされることがないんです。

余裕がないと言ってもいい。

僕はずっと孤独でした。

自分らしくいることができなかった。

人と違うのが嫌だった。

人に嫌われるのが怖かった。

そうしているうちに何層も殻が積み重なって、身動きが取れなくなりました。

でも今は違う。

今を死に物狂いで生きることで、少ないけど自分のことを気にしてくれる友達ができました。

自分らしく生きることができるようになりました。

これが自分だ!と自信を持って言えるようになりました。

それが言えるようになるまで21年を要しました。

 

僕は自分のことを馬鹿だと思っています。

どうしようもない馬鹿野郎です。

 

でも、今精一杯生きられているんだから、そんな自分でも良いのかなと思います。

今回の旅行で、彼に申し訳ないと一言伝えることが、今自分が1番やりたいことです。

 

自分事をだらだらとすいません。