殺処分ゼロは目標ではなくて義務。

気がついてみれば前回の投稿から4ヶ月。

この間にクリスマスが終わり、年を越し、鬼は外をしたわけですね。やばい、さらっと過ごしすぎてどれも記憶になさすぎる。こわ。テレビから伝わってくるクリスマスとか前夜とかって、僕はいまだに幻覚とか思ってるんですけどあれは現実に起こっていることなんですかね?そんな非リア代表のお話です。

 

猫飼ってるんですよ。猫。

4歳くらいから両親にずっと訴え続けてやっとの事で飼い始めることができた猫。

この後可愛さ自慢を展開するつもりはありませんよ。

 

ペットビジネスってどうなんですかね。

僕は猫を店頭で購入したのでもうこの時点でペットビジネスに乗っかってしまったわけですが。

 

犬猫(それに限った話ではないかもしれませんが)の殺処分ってあんまし考えたことがなかったんですね。

猫を飼い始める前なんて、可愛いから、癒しになるからとかいった不純な動機で欲しいと言っていたわけです。

ペットを飼っている家庭に憧れの気持ちもありました。

でも人間が動物をビジネスの世界に巻き込んだがために、金にならない動物は殺すわけですよね。増えすぎた売れない犬猫を飼い育てるのもコストがかかりますから。自然に帰すわけにもいかないでしょう。だから狭い部屋の中で無くなる酸素を必死に吸い、それが尽きると醒めない眠りにつくわけです。

当たり前の流れなのに飼い始めるまで意識しなかったのはなんなんでしょうね。

これって動物に限ったことではないですよね。上の文章を雇われの身の会社員に置き換えてもなんら不自然ではありません。

ビジネスの世界は怖いところです。

価値がないと見捨てられれば、それまで。

合理的です。

僕は動物にしろ、会社員にしろどちらも悲しい話だなとは感じます。

しかしどうしてもやり切れないのは、動物には生死の選択権がないところです。

ブリーダーの手によって売れる猫が生まれてきます。

たとえば鼻ぺちゃ、折れ耳、短足いづれも遺伝的な異形症です。

僕の家に来たスコティッシュフォールドという種もまた、人間の手によって先天的な遺伝性疾患を持って生まれてきた哀れな猫の仲間です。

可愛さの裏にはこういった現実があったんですね。

そうして生まれてきた猫は、飼い主の手に渡ると今度は人間にとって都合のいいように、すなわち飼いやすいように改造されます。避妊、去勢手術です。

発情期を迎えると、攻撃的になったり、無駄泣きが多くなったり、マーキングとして匂いの強い尿を部屋に撒いたりするんです。

それは飼い主にとって面倒なことですよね。

なので、家猫の場合は相手が見つからないことによるストレスの軽減、もしくは性病の回避のためというそれらしい理由を設けて手術に至るわけです。ひどい話でしょう。

 

今現在どれくらいの家庭がペットを飼っているのか知りませんが、もうすでにペットビジネスに参与してしまった人も、まだな人も、現実を知った上でご決断ください。無知とは恐ろしいことです。僕のように「知らない」を理由にまたも哀れな命が生まれてきませんように。