それって本当の本当に自分で考えたこと?
最近なのか昔からなのかわかりませんが、ニュースって必要以上に突っ込みすぎじゃないですか?
僕個人としては、ニュースってその日あった事、新たにわかった事を淡々と伝えるものだと思っているんですね。
こんな事件がありました。
こんな開発が進められています。
こんなイベントが行われます。
などなど言い出したらきりが無いんですが、とりあえず事実を流布する番組だと認識しています。
最近のニュースを取り上げると、日大のアメフト部に所属する選手の反則タックル。
監督に相手選手を潰してこいと指示された選手が、ボールを持っていない相手選手に背後からタックルして全治3週間程度の怪我を負わせたとか。
大学間、選手間の問題であってマスコミが詰め寄せて追求してるのもおかしい気がしなくもないんですが、それよりもずーーっと引っかかることがあって。
なんで被害を受けた選手のお父さん出てきた??
いやね、このお父さんの言ってることはわかるんですよ。
自分の息子が傷害を負うに至った経緯だとか、それに対してどういう対応があるのかとか、それは親である以上知らないわけにはいかないのかもしれません。
でもお父さん必要なく無いですか?ニュースにおいて。
だってお父さんなんかより、同じく試合に出場していた選手だったり控えの選手だったり、指導者だったりの方が明らかに事実を知っている可能性が高いわけですよね。
お父さんの意見聞いたって仕方ないじゃ無いですか。
被害を受けた選手がテレビの前に出れないくらい幼い子ならまだ分かるんです。
だって情報を間接的に伝えることができるから。
でも被害者もう大学生ですよ?
何かわかることがあるなら直接その被害者に話を聞けばいいじゃ無いですか。
なんでお父さんがカメラの前に立って話をしてるの?なんでそれをマスコミは求めたの?
で、このもやもやの原因って「大学生に代わって保護者が出てきたこと」だと思ってたらなんか違くて。なんかしっくりこなくて。ピースが上手くはまらなくて。
そしたら今日、いきなりピンときたんですよね。「あー、これ報道側が主目的を見失ってるせいだ」って。
最初の方にも書いたんですが、ニュース番組で報じるべきはその日あったこと、その日新たにわかったことだけ。
その先は当事者の問題であったり、視聴者の問題であってニュースではそれ以上のことを語る必要なんてないし、むしろ迷惑。
だって、殺人犯の生い立ち、特に幼少期どんな生活環境で育ち、どんな性格の子で、近所の評判はどうだったとか、被害者はどんな子で、どんな夢を持ち、どんな希望を抱いていたとかって要らなくないですか?
あとは街頭調査。このニュースについて町の人はどう思うかとか、内閣支持率だとか。
他にもあるんだろうけど、とにかく視聴者の思想をストップもしくは誘導する構成がどうも気に食わない。
想像する余地がないじゃん。
頭を働かせる余裕がなくなっちゃうじゃん。
テレビがつまらないのってこれが理由じゃないの?
このように想像力を奪う構造は存在していて、無自覚のまま誰かの意見に流されている。
僕自身もその1人。
僕は簡易な対策としてネットを使う時は「何?」を調べるだけとしてる。「何故?」の方はネットに聞くことじゃなくて自分で考えることだと思っているから。
でもそんな小さなことだけでは対処しきれない。
だって無自覚だから。
意識していないから思想の誘導、操作を正面から受ける。
じゃあどうすればいいのか?
僕の考えは無意識に意識的になることだと思います。それが疑問、違和感を受信できることにつながり、「何故?」を自分で考えられるようになる。
僕はパスカルの「人間は自然のうちで最も弱い葦の一茎にすぎない、だがそれは考える葦である。」の言葉が好きです。
僕が今享受している生活は先人たちの知恵の積み重なりが築き上げたもので、僕よりも後に生まれてきた人が過ごすことを強いられる生活は、今を生きる人が積み上げる思考の上に成り立つ。
ニュースの話から飛躍しすぎですね笑
僕が心配しすぎなだけでしょうか笑
杞憂に終わればいいな。