不自由な道を自分から選択するのは何故?
この間登場した心理学の教授。
人の性格診断結果をニヤニヤしながらみる性根の腐ったあの教授。
今日は「エッチ」を言葉に出すのに戸惑っていた。
50もしくは60を過ぎたであろう立派なおじさんが「エッチ」を意識し過ぎた感が非常に気持ち悪かったです。
僕も気をつけないと。
僕最近英語に時間割いてて。
大学生にもなって英単語を勉強してるんです。
以前もブログにしたんですけど、僕は英語を書けないし、聞けないし、話せないんですね。
書けない原因は「読んで分かる」程度しか単語も文法も理解できていないからです。
穴埋め形式で選択肢から選ぶのはできるけど、作文は無理ってことです。
聞けない原因は発音、リンキング等が疎かだからかな。
話せない原因は書けないことに同じです。
経験も足りない。
だから英単語帳とか英文から単語の使い方を知ることから始めました。
こう考えると中学からの8年間なにやってたんだと。
でも、もう過ぎてしまったことは変えられないのでまた1から英単語帳です。
で、ちょっと話飛ぶんですけど、やる前から出来ないっていうのどういう心理なのかと思いまして。
せっかく英語の話をしたので英語を例にすると、「留学できないから英語を話せない」とか。
そうなの?海外に行かないと英語って話せるようにならないの?
日本でもライティング、リスニング、スピーキングの練習くらいできるんじゃないの?
そりゃリーディング対策の受験英語だけじゃ話せるようにはならないよ?
だってどれだけ単語の知識があったって使い方知らないんだもん。
そんなんで話せるわけないじゃん。
サッカーだって50メートル先まで飛ばすキックを教えてもらっても、実際にできるかどうかは練習次第でしょ?
スピーキングの練習してもないのに、日本にいたら英語が話せないとかちょっとよくわからない。
前に無意識のうちに自分の考えは誰かに誘導、操作されているっていう話をしたけど、この「やる前から出来ない」もある種の意識の操作に過ぎないと思う。自分で操作してる点でちょっと差異はあるけど。
たぶん「やる前からできない」を唱える人はちょっと踏み出したことはある人だと思う。
でも踏み出して見たものの、目的までの途方も無い道のりに臆して歩みを止めてしまった。
また英語の話で申し訳ないけど、英単語を100覚えても、1000覚えても、10000覚えても、さらに覚えてもまだまだ単語は存在する。
そのそれぞれに使い方があって、相性の良い単語があって、類義語があって、、、ってなったらげんなりするのもわからなくもない。
でも多くの人は日本語話せるでしょ?
表現の幅の広さとかは人それぞれだけどそれなりに話せるようにはなったはず。
それって小さい頃から日本語を知ろうとして、知った言葉を使ってみて、失敗しながらも少しずつ上達してきたから今話せるんでしょ?
もうやってるじゃん。できるんじゃん。
それがなんで英語になったら「できない」になるの?
「できない」じゃなくて「やらない」だけなんじゃないの?
僕はこの「やる前からできない」の呪いからは一刻も早く逃げるべきだと思います。
その気になれば脚のない人も歩けるようになる。もしかしたらサッカーボールを50メートル飛ばせるようになるかもしれない。
「できない」のは単にあなたが「やらない」と決めたから。
無意識のうちに自分にかけてしまう厄介な呪いだけど、その呪いが自分で作り上げた架空のものだと気づけたら、もっと自由に生きられるのかなと思います。