餓鬼気分で21歳やってます。

早起きを習慣にしたい。

ちなみに昨日は13時起き。

怒りを通り越して、呆れをも通り越して、笑った。

とりあえず笑っておけばなんとかなるよね。

たぶん生まれてくる種族間違えたんだと思う。

コアラかナマケモノに生まれてくる予定だったんだと思う。

そしたら「人間かよ!」しかも「日本人かよ!」って神様もびっくり仰天だったと思う。

日本はダメだよね。せめてモスクワあたり。あそこだったら「冬眠中かな?」って優しく見守ってくれると思う。←そんなことない

前置きで200字使っちゃった。

ごめんなさい。

 

人間って不完全で(急に本編)、それは年齢によらず多くの人が不完全で、僕なんか特に不完全で。

っていうことを知っていたのに、理解できていなかった。

僕が自分の親が絶対的な存在ではないと気づいたのは小学校6年生の頃。

それが遅いかとかはよくわからないけど、とりあえず僕が気づいたのは12歳の時。

両親の仲が良くなかった時期で、日常的に離婚だとか、どちらの親の元で暮らすかとかいった話ばかりしてて、両親はお互いどんどん不干渉になっていって、話し合いは行われず、感情だけが先行していた。そんな感じだった。

そこで息子である僕は、両親の、大人の不完全さを知った。

でも知識として大人は完全な人間ではないと知っていながらも、どうにも僕がブログに書く内容は、そのことを理解していないように感じまして。

どこか「大人のくせに」とか「自分より年上のくせに」みたいな気持ち悪さがあった。

人間誰しも得意、苦手なことがあって、非の打ち所がない完璧な人なんて存在しない。

初対面の人と話すことが苦手な人もいれば、そうでない人もいる。

自分の感情を上手く伝えることができる人もいれば、そうでない人もいる。

こんなことは分かりきったことで、当たり前なことで、でも僕はそれすらも理解できていなかった。

コンビニでアルバイトをしていると、日々たくさんの人と接する。

1日に100人相手をすると、3人は感じの良い方、87人はそっけない方、残り10人は嫌なお客さんが来店される。

だいたいいつもこんな割合。

そしてその10人からピックアップして、1日の鬱憤を晴らすために、何度かこのブログでも文句を言った。

でも本当は、僕がその10人を作ってしまっていただけなのかもしれない。

21の僕が言うのもおかしな話ではあるけど、大人だって完璧じゃない。

不得意分野では、あれれ?と思うような言動だって平然ととる。

でもそれはその人の苦手であって悪いところではない。

自分が嫌だと感じたものを、それは悪だと考えるのは楽ではあるし、自分を守るための術ではあるけれど、それって本当は相手の苦手なところなんじゃないの?って考えてみると、随分人との付き合い方が変わると思う。少なくとも僕は変わった。

人間誰しも完全じゃないなら、その人の悪いところを見ようとすれば、いくらだって出てくる。

そしてその悪いことに注目すれば、イライラもするし、嫌になることだってあると思う。

でもそうじゃない。

それは相手の苦手分野なだけ。

数学が苦手、体育が苦手なこととなんら変わらない。

苦手意識を持っている人に、得意な人が「なんでこんなこともできないの?」って言ったって何も解決しないし、意味がない。

相手の苦手を知ることの方が何倍も大切。

少し寛容になって相手を受け入れてみると、嫌だったアイツが少し可愛く見えてくる。

結局は自分次第。

100人をどういう人間にするかも、ある程度自分にかかってる。

 

、、、あれ?不完全ならお互い支え合おうって書こうとしたつもりが、上から物を言う感じになっちゃった?