生きるため。
生物は生きるために他の生物を殺す。
殺さなければ自分が死ぬから。
だからそこに悲しみとか、怒りとか、哀れみとかを感じるのは違う。
ライオンだってシマウマを殺さないと生き残れないし、蜘蛛だって蝶を殺さないと生きていけない。
ある生物は、生存競争に生き残れる見込みのある子だけを育て、そのほかの子どもは見殺しにするらしい。そうすることで種の存続を守る。
人だってそう。
牛を殺して、豚を殺して、鶏を殺して、生き残るためには人だって殺す。
それは自分の生命が脅かされたから。
自分の命を守るためだったら迷いなく人だって殺す。
だからそこに悲しみとか、怒りとか、哀れみとかを感じるのは違う。
人間なんてちっぽけな存在で、1人で生きていくことなんて元からできない。だから大人に依存する。自分1人でも生きていけるようになるまで、大人の力を借りないと簡単に死んでしまうから。
でもこの閉鎖的で、圧倒的に力の差がある不自然な関係、環境で、自分の生命が脅かされた時、子どもはどうすればいいんだろう。
たぶん、大人を殺すんじゃないだろうか。
こうして生き残った人間を人殺しと呼ぶのは違うと思う。