薬剤師好き。
もう21になって日々体力の衰えを感じていまして。
この間全力ダッシュした時なんか100mも走ってないのにゼーゼー息が上がるわ、汗はナイアガラ級に吹き出るわで絶望した。
21ってまだ若いと思ってたらそんなことなくて。
もう4年間も運動してなけりゃそれはこうなるわと思った今日この頃です。
たぶん森脇健児さんの方が、僕なんかよりピンピンしてると思う。
てか森脇さんより元気な人の方が少ないか。
今日は特にネタがなくてですね。
こうしてスマホをポチってるあいだにいいネタ見当たらないかなと考えている次第です。
ネタないなら書かなければいいじゃんなんて当たり前なツッコミしないでくださいね。
あともう2%しか充電がないのでハイペースで書きます。
今日ドラッグストア行きまして。
僕ってバカだから風邪引かないと21年信じてたんですけど今日風邪ひきまして。
風邪デビューしましたどうも。
風邪ってつらいですね。
つらいつらいとは聞いていたもののまさかここまでとは。
頭はガンガンするし、喉はパンパンに腫れて唾液飲み込むことすらできないし。
てか初めて知ったんですけど、人って思いのほか唾液飲み込んでいるんですね。
普段意識したことなかったんですけど、こうして喉が腫れると唾液飲み込むたびに痛みを感じるんですよ。
で、俺ってこんなに普段ゴックンしていたんだと再認識しました。
いや、意識してるから余計唾液が出るのかな?わかんない。
今日すごく暑くて。
30度行ったのかな?
そのくらいの暑さで。
暑いからフラフラするんだと思ってたらなんか違うんですよ。
まっすぐ歩けない。
すぐ疲れる。
何これ?
昨日の今日でそんなに老けるのか!と思ってたら風邪だった。
とりあえず慣れないドラッグストアに行って銀のベンザを購入。
僕、ドラッグストアって安くパンが手に入る場所だと思ってたら、あんなにたくさん薬置いてるんですね。
薬剤師の方なのかよくわかりませんが、症状を話したらこれがいいですよ、効きますよって言われて銀のベンザ。
1600円くらいかな。
何も知らないからもっと高いの売りつけられても素直に買ってたと思う。
良い人でよかった。
薬剤師好き。
もう充電が持たなそうなので今日はここらでおいとまします。
おいとまって使い方合ってるかな?
でももう充電ないから良いや。
ここまで読んでくれた方いたらありがとうございます。
不自由な道を自分から選択するのは何故?
この間登場した心理学の教授。
人の性格診断結果をニヤニヤしながらみる性根の腐ったあの教授。
今日は「エッチ」を言葉に出すのに戸惑っていた。
50もしくは60を過ぎたであろう立派なおじさんが「エッチ」を意識し過ぎた感が非常に気持ち悪かったです。
僕も気をつけないと。
僕最近英語に時間割いてて。
大学生にもなって英単語を勉強してるんです。
以前もブログにしたんですけど、僕は英語を書けないし、聞けないし、話せないんですね。
書けない原因は「読んで分かる」程度しか単語も文法も理解できていないからです。
穴埋め形式で選択肢から選ぶのはできるけど、作文は無理ってことです。
聞けない原因は発音、リンキング等が疎かだからかな。
話せない原因は書けないことに同じです。
経験も足りない。
だから英単語帳とか英文から単語の使い方を知ることから始めました。
こう考えると中学からの8年間なにやってたんだと。
でも、もう過ぎてしまったことは変えられないのでまた1から英単語帳です。
で、ちょっと話飛ぶんですけど、やる前から出来ないっていうのどういう心理なのかと思いまして。
せっかく英語の話をしたので英語を例にすると、「留学できないから英語を話せない」とか。
そうなの?海外に行かないと英語って話せるようにならないの?
日本でもライティング、リスニング、スピーキングの練習くらいできるんじゃないの?
そりゃリーディング対策の受験英語だけじゃ話せるようにはならないよ?
だってどれだけ単語の知識があったって使い方知らないんだもん。
そんなんで話せるわけないじゃん。
サッカーだって50メートル先まで飛ばすキックを教えてもらっても、実際にできるかどうかは練習次第でしょ?
スピーキングの練習してもないのに、日本にいたら英語が話せないとかちょっとよくわからない。
前に無意識のうちに自分の考えは誰かに誘導、操作されているっていう話をしたけど、この「やる前から出来ない」もある種の意識の操作に過ぎないと思う。自分で操作してる点でちょっと差異はあるけど。
たぶん「やる前からできない」を唱える人はちょっと踏み出したことはある人だと思う。
でも踏み出して見たものの、目的までの途方も無い道のりに臆して歩みを止めてしまった。
また英語の話で申し訳ないけど、英単語を100覚えても、1000覚えても、10000覚えても、さらに覚えてもまだまだ単語は存在する。
そのそれぞれに使い方があって、相性の良い単語があって、類義語があって、、、ってなったらげんなりするのもわからなくもない。
でも多くの人は日本語話せるでしょ?
表現の幅の広さとかは人それぞれだけどそれなりに話せるようにはなったはず。
それって小さい頃から日本語を知ろうとして、知った言葉を使ってみて、失敗しながらも少しずつ上達してきたから今話せるんでしょ?
もうやってるじゃん。できるんじゃん。
それがなんで英語になったら「できない」になるの?
「できない」じゃなくて「やらない」だけなんじゃないの?
僕はこの「やる前からできない」の呪いからは一刻も早く逃げるべきだと思います。
その気になれば脚のない人も歩けるようになる。もしかしたらサッカーボールを50メートル飛ばせるようになるかもしれない。
「できない」のは単にあなたが「やらない」と決めたから。
無意識のうちに自分にかけてしまう厄介な呪いだけど、その呪いが自分で作り上げた架空のものだと気づけたら、もっと自由に生きられるのかなと思います。
初めての友達はマレーシア人。
学部3年の春、初めて大学の友達ができた。
相変わらず僕は引っ込み思案でビビりで、今回もまた相手からのアプローチを待っていた。
前回も書いたように僕は自分から友達をつくることがなかった。
21年間一度も。
だから全く成長していないといえばそうなのかもしれないが今日はそんな暗い話を書くつもりはない。
相手はマレーシアから来た留学生だった。
実習課題の班が同じで、課題の提出先が分からないと声をかけてきた彼を僕が案内した。
次のクラスが一緒だったからお昼を一緒に食べた。
一緒にとは言っても彼はイスラムで、断食をしていたから僕が食べる納豆巻きを見ていただけだった。
昼飯の最中僕は彼といろいろな話をした。
マレーシアはどんな国かと尋ねたら、とてもいい国。大好き。と返ってきた。
彼の日本語は拙いけれど、表情から本当にマレーシアが好きなんだとわかった。
それではどうして日本に来たのかと聞いたら、本当はUKの大学に行きたかったけど日本の大学は奨学金が出るからこっちに来たとのことだった。
正確に聞き取れているかは置いといて、彼は日本の大学ではなくイギリスの大学に行きたかったということはわかった。
どうして?と聞くと、マレーシアでは母国語の他に英語も小さい頃から勉強するけど、日本語はそうではないからだと言った。
今度は彼から質問を受けた。
「納豆巻きってどんな味?」
僕は一瞬戸惑った。納豆巻きの味を表現できなかったからだった。
苦し紛れに「醤油の味。」と答えた。
「それは醤油つけているからでしょ?」と笑われた。
僕も一緒になって笑った。
そんな感じで僕は彼を知った。
彼は日本に来てまだ3ヶ月も経たないとのことだった。
日本に来たものの日本語が上手に話せないから、人に話しかけることが恥ずかしいと彼は言った。
彼もまた、僕とは違う意味で人に声をかける勇気が持てない人間だった。
でもそうして話をして、お互いを少しずつ知って、次の授業を同じ教室で受けた後、彼は何も言わずに教室を先に出ていった。
仕方がないことだ。人間関係は合う合わないがある。
もしかしたら彼は僕とは合わないと感じたんだろう。
そう思ってずっと忘れていたこの胸のあたりがチクっとする嫌な痛みを軽食でごまかして、図書館で課題に取り組み始めた。
課題もだいぶ片付いた頃、スマホを手に取るとLINEに数件のメッセージが来ていた。
彼からだった。
「今日はいっぱい話をしてくれてありがとう。友達になってくれませんか?」
僕は人を見る目がないことをひどく痛感した。
彼は勇気が無い人間ではなかった。
確かに直接ではなくLINEを使ってはいるが、これはスマホゲームのフレンド申請とは訳が違う。
相手を知っている分、その重みが違う。
僕は彼を心の底から尊敬した。
自分と違う国、言語、文化の中で、話しかけるのすら戸惑っていた彼が、僕にはできなかった「友達になってください。」を勇気を出して言葉にしたからだった。
自分の中で何かが変わる音がしたなんていったら安っぽい小説のパクりと思われるかもしれないけど、本当にそんな感覚だった。
僕は今まで自分から友達をつくることができなかった。
声をかける勇気がなかった。拒絶されるのが怖かった。
けどそれは大なり小なりみんなが抱えている問題で、それを克服できるかは個人の問題だ。
僕は彼から勇気をもらった。
変な言い方だが、彼は日本語も完璧ではないし、文化的にどうしても日本人と差異が生じてしまう。僕なんかよりもっと、友人をつくるハードルは高い。
得意なこと、苦手なことに個人差はあるから人と比べるのは違う。
でも彼が前に進む姿を見て、僕も負けてられないなと素直に感じた、そんな瞬間だった。
たとえその一歩が小さくても、歩み出すことが素晴らしい。
文章を書くのが苦手だからこそ
僕は小学生時代から国語と言うものを軽視していました。学生同士のコミュニケーションの中で、日常会話以上の日本語力に価値を見出せなかったから。本を読むのも好きではなかったから、僕の話す日本語は僕の周りにいる人の使う日本語の表現に依存したものでした。ブログを開設して、ほかのブロガーさんの文章を拝見させていただくことが増えて、自分の表現の幅の狭さを痛感した。
路傍
変態性
陳腐
苛烈
大言壮語
艱難辛苦
旧態依然
瑣末
無粋
どれも僕が使うことのなかった語彙であり、表現だった。
人と違っていて妙にこだわりのあることについて「変態性」と言う言葉を使うのってすごいな!って思った。しっくりくる。伝わりやすい。なおかつインパクトがある。
艱難辛苦だってそう。辛い、苦しいと伝えるよりもこの物々しく複雑な漢字を添えるだけで表現がリアリティーを増す。すごく辛くて苦しそう。
僕が意味がないと避けていたものが21になって無視できないものになった。
僕が書く文章はまとまりがなく、表現が浅く、ユーモアも少ない。
だったら苦手は訓練を積んで得意に変えるしかない。
苦手と感じるのは経験、成功体験が足りないから
僕は友好な対人関係を築くのが苦手です。
振り返れば幼稚園に入園し、家族以外のコミュニティで生活する時間が増えてからというもの、自分から声をかけて仲良くなったという友達が1人もいない。
これは別に外の世界に興味がなく、内の世界に身を置いていたからではありません。
単にコミュニケーションが苦手だった。
それに加えて煩わしさも多少は感じていた。
傷つくくらいなら1人でいた方が楽だって。
無理して自分から声をかける必要ないって。
そうして他力本願な対人関係の構築を重ねてきたことで、自分から友人を作ることができなくなっていた。
これも経験不足に起因する苦手だった。
ハードルの低いところから段階的に
苦手を克服する時は一歩ずつでいい。
たとえその一歩が小さくたって確実に前に進んでいるから。
焦って一段飛ばしで進もうとすれば躓いて怪我をしかねない。
擦り傷程度で済めば問題ないけど、その先へ進むことができなくなるくらいの大怪我をしては本末転倒。
だから僕は文章はブログから始めたし、対人関係はサービス業から始めた。
ブログは自由に自分の考えていること、発信したいことを表現できるし、スマホがあれば書きたいときに好きなだけ書ける。
よし!ブログ書くぞ!
って意気込む必要もなく、本当になんとなく書きたいなって思ったときに書けるのは始めるまでのハードルがかなり低い位置に設定されていると思う。
サービス業は正直辛いことが多い。
お客さんにはすごく丁寧な方もいれば、横柄な人もいる。小さな子どもから杖のおじいちゃんまで年齢層も広い。
だけどお金をもらっている。
もし傷つけられても、お金をもらっているからこれも仕事だと言い訳ができる。逃げることができる。
さらに客層が広いということは、さまざまなパターンの人とコミュニケーションを取れる機会があるということ。
学校にいるうちは毎日同じクラスの人としか接することがなかった。
最後に
弱点を克服するための環境は慎重に選んでほしい。
どうしようもなくなったら一度全てを放棄して階段の一段目からまた登り始めればいいんです。
それでも苦しかったら別の階段を探せばいい。
これは自分を励ます言葉でもあります。
情けないことに僕は人様の心配をしてる場合ではないくらい問題山積みでして笑
自分の課題から逃げてばっかりのくせに偉そうな口で他人に説教たらしてるんです。
他人に首突っ込む人ほど自分のことから逃避してるもんです笑
ただ、僕の言葉で少しでも勇気を与えられるなら少しくらい強がってみてもいいかなと思いまして、長々と書いてみました。お終い。
ロボットにもそのクレームする気?
日本のサービスって素晴らしいですよね。
てか日本にしかいたことないんで他の国知らないだけだけど。
母親が海外旅行から帰ってきまして。
どうもその国で受けたサービスが日本と違いすぎて相当なショックを感じたとか。
店員がスマホいじりながら会計するとか、レジに立ってプライベートなことしてるとか、早く帰って欲しそうな顔をするとかなんとか。
5分近く体験談を聞かされたわけですが、僕がおかしいのでしょうか?「別にいいんじゃね?」って思いまして。
だってその国にはチップというものがあるんですよ。
サービスを受けたらその代金としてお金を払うものなんです。
サービスはお金で買う、いわば商品なんですよ。
国外では日本の常識が通じないことがあるからその分学びも多いのかもしれない。
けど母親の中ではその旅行先はろくなサービスもできない国になってしまった。
その証拠に日本に帰ってきてからも、あのコンビニの店員はお箸もつけてくれなかったとか、愛想が悪いとか、いらっしゃいませも言わないなんて不愉快とかなんとか言ってる。
なんでそうなる?
日本のサービスは世界水準よりもダントツで高いよ?
それも小売店は特にサービス料なんて頂戴してないよ?
海外の店員の対応がいわゆる普通なのに、日本で40年以上生活する中でサービスは当たり前に成り下がってしまった。
これは僕の母親に限った話ではない。
トイレを借りるにも声もかけず、勝手に入って行っては汚すに汚して、これでもかというほど荒らしたら、また声もかけることなく横柄な態度で帰っていく。
汚れたトイレを清掃するのは当然、店員の仕事だと認識しているから。
家庭ゴミを次々に持ち込んではゴミ箱がいっぱいになる。燃えるゴミがいっぱいならばプラごみにでも容赦なく突っ込む。
ゴミの分別は店員の仕事。ゴミがいっぱいのままのゴミ箱は店員の怠慢であると当たり前のように考えているから。
当然、当たり前、そういうもの、みんなやってるし。
そういった短絡的な思考、凝り固まった考え方がサービスは無料、客は神様、店員は客の奴隷という構造を生んだ。
店員だけじゃない。
駅員だって医者だって客ありきの商売はみんなそう。
てかむしろ客ありきの商売の方が圧倒的に多いでしょ?
だから一度、一斉にサービス業を無期限で停止すればいいんですよ。
あることの幸せ、便利さを感じることができなくなったのなら、ないことの不幸せ、不便を感じるしかない。
それかサービスを商品化する。
コピー機の使い方の指導500円、ゴミ箱の利用100円、トイレの使用200円、クレームの対応15000円、イートインコーナーの利用500円、駐車場利用15分につき1000円。
サービスのありがたみを視覚化できるいい手ですよね。
そのうちサービス業の大半が人から機械、ロボットに代替される。
もしそうなったとしても、ロボットに対してクレームを吐き続けますか?
あなたが望んだ従順で隷属的な店員は近い将来完成します。
その時に初めて人間のサービスのありがたみを理解するんでしょうね。
鬱憤を少しでも晴らしてくれる、相手を従わせる優越感を少しでも満たしてくれる人間のありがたみを。
最低賃金でもいいから文句言わないで。
前置き考えてたら10分経ったんでむしろ何も書かずにいきなり本編に入りますね。
ノープロローグ。
大学生になってからコンビニバイト始めまして。
僕みたいな対人関係から逃げたやつがサービス業を一端やってのけているんです。
20年かけてやっとの思いで完成させた渾身の営業スマイルを今日も振りまいてきました。
で、僕ってすごくなめられやすいんですね。
いきなりの方向転換ですがついてきてくださいね。
僕ってすぐなめられるんですよ。
こいつだったら何言っても言うこと聞くだろうって。
だからお客さんからコーヒーカップ投げつけられたり、罵声浴びせられたり、電子レンジで弁当温める前に外さなきゃいけないソースをつけたままスイッチオンしてソース大爆発させたせいで舌打ちされたりするんですよ。
あ、最後のは自分のミスだった。
でですよ。
クレームつけるってどういうことなのかと思いまして。
生まれてこのかたクレームのクの字もしたことがない僕からすれば訳がわからなくて。
たとえば、お客さんがレジで列作ってるときに店員1人だけで対応してたらその店員に対して「他に店員いねぇのかよ(怒」って言うよくあるクレーム。
どういうこと???
いや、早く会計済ませたいのはわかるんですよ。
待たされるよりスムーズに会計済ませることができたら嬉しいですよ。
でもそれってあなたの都合でしょ?
店員に業務外のサービス強要しすぎじゃないですか?
サービスを売る商売なのはわかるんです。
だからお客さんがレジ待ちしてたら対応します。
でも店員も人間ですからサービスにかける手も限られてるんですよ。
お客さんがトイレで何とは言いませんがぶちまけたものを店員は処理しています。
トイレ入ったら床に汚物が!なんてこと多くの人は体験したことないはずです。
そりゃそうですよ。店員がお客様第一に考えて清掃しますから。
お客さんがコピーの仕方がわからないときには店員が懇切丁寧に手伝っています。
折角コンビニに足を運んだのにコピーの仕方がわからなかったからコピーできずに帰ったなんてことありえないですよね?
だって店員に聞けば0から10までやってくれますから。
ゴミ箱がいっぱいになりそうなら店員が代えのゴミ袋を用意します。
ゴミが出たけどゴミ箱がいっぱいで持ち帰らざるをえなかったなんてほとんどないはずです。
それは店員が次々に持ち込まれる家庭ゴミを回収してお客さんがゴミを捨てられるようにしているからです。
あ、別に店員の苦労自慢がしたいわけじゃないですよ。
ただ、いちゃもんつける前に少し立ち止まって考えてみてはいただけませんか?ということです。
わかってます。
仕事終わりで疲れ切り、家路を急いでいるのは。
そんなときにレジ待ちの長蛇の列に巻き込まれたらそれはしんどいでしょう。
でも店員に当たるのはやめません?
いや、たまに後列の方を思って「他に店員いねぇのかよ」を言ってくれる方はいらっしゃいますでしょうよ。
じゃあ店員がレジに1人しかいないときは他の店員が何しているかわかるようにわざわざお伝えしますか?
そうですね。そうした方がいいのかもしれませんね。
なんで店員が滝のように次から次へと流れてくるお客さんを1人で対応しているのかを考えて欲しいなんて言っている僕が間違っていましたね。
、、、
終わり方が切ない。
今ちょうど浮き沈みの沈みの方なんだ。
沈んで沈んでマントルまで到達しちゃった。
それって本当の本当に自分で考えたこと?
最近なのか昔からなのかわかりませんが、ニュースって必要以上に突っ込みすぎじゃないですか?
僕個人としては、ニュースってその日あった事、新たにわかった事を淡々と伝えるものだと思っているんですね。
こんな事件がありました。
こんな開発が進められています。
こんなイベントが行われます。
などなど言い出したらきりが無いんですが、とりあえず事実を流布する番組だと認識しています。
最近のニュースを取り上げると、日大のアメフト部に所属する選手の反則タックル。
監督に相手選手を潰してこいと指示された選手が、ボールを持っていない相手選手に背後からタックルして全治3週間程度の怪我を負わせたとか。
大学間、選手間の問題であってマスコミが詰め寄せて追求してるのもおかしい気がしなくもないんですが、それよりもずーーっと引っかかることがあって。
なんで被害を受けた選手のお父さん出てきた??
いやね、このお父さんの言ってることはわかるんですよ。
自分の息子が傷害を負うに至った経緯だとか、それに対してどういう対応があるのかとか、それは親である以上知らないわけにはいかないのかもしれません。
でもお父さん必要なく無いですか?ニュースにおいて。
だってお父さんなんかより、同じく試合に出場していた選手だったり控えの選手だったり、指導者だったりの方が明らかに事実を知っている可能性が高いわけですよね。
お父さんの意見聞いたって仕方ないじゃ無いですか。
被害を受けた選手がテレビの前に出れないくらい幼い子ならまだ分かるんです。
だって情報を間接的に伝えることができるから。
でも被害者もう大学生ですよ?
何かわかることがあるなら直接その被害者に話を聞けばいいじゃ無いですか。
なんでお父さんがカメラの前に立って話をしてるの?なんでそれをマスコミは求めたの?
で、このもやもやの原因って「大学生に代わって保護者が出てきたこと」だと思ってたらなんか違くて。なんかしっくりこなくて。ピースが上手くはまらなくて。
そしたら今日、いきなりピンときたんですよね。「あー、これ報道側が主目的を見失ってるせいだ」って。
最初の方にも書いたんですが、ニュース番組で報じるべきはその日あったこと、その日新たにわかったことだけ。
その先は当事者の問題であったり、視聴者の問題であってニュースではそれ以上のことを語る必要なんてないし、むしろ迷惑。
だって、殺人犯の生い立ち、特に幼少期どんな生活環境で育ち、どんな性格の子で、近所の評判はどうだったとか、被害者はどんな子で、どんな夢を持ち、どんな希望を抱いていたとかって要らなくないですか?
あとは街頭調査。このニュースについて町の人はどう思うかとか、内閣支持率だとか。
他にもあるんだろうけど、とにかく視聴者の思想をストップもしくは誘導する構成がどうも気に食わない。
想像する余地がないじゃん。
頭を働かせる余裕がなくなっちゃうじゃん。
テレビがつまらないのってこれが理由じゃないの?
このように想像力を奪う構造は存在していて、無自覚のまま誰かの意見に流されている。
僕自身もその1人。
僕は簡易な対策としてネットを使う時は「何?」を調べるだけとしてる。「何故?」の方はネットに聞くことじゃなくて自分で考えることだと思っているから。
でもそんな小さなことだけでは対処しきれない。
だって無自覚だから。
意識していないから思想の誘導、操作を正面から受ける。
じゃあどうすればいいのか?
僕の考えは無意識に意識的になることだと思います。それが疑問、違和感を受信できることにつながり、「何故?」を自分で考えられるようになる。
僕はパスカルの「人間は自然のうちで最も弱い葦の一茎にすぎない、だがそれは考える葦である。」の言葉が好きです。
僕が今享受している生活は先人たちの知恵の積み重なりが築き上げたもので、僕よりも後に生まれてきた人が過ごすことを強いられる生活は、今を生きる人が積み上げる思考の上に成り立つ。
ニュースの話から飛躍しすぎですね笑
僕が心配しすぎなだけでしょうか笑
杞憂に終わればいいな。