思考よ、止まれ。

今日も暑くて暑くて病み上がりの僕には非常に厳しい気候です。

北海道に避暑しよう。

ということで、1泊2日で北海道に行くことになりました!!!

とてつもなく読者の関心をそそらない内容だとは自覚していますがご容赦ください。

 

話は180度変わって、僕は何をするにも頭でっかちになってしまいがちなんですね。しかも悪い方で。

思考タイプの性格なんですかね。

直感とか、感覚とかでアクションを起こすことはまずない。

何をするにも考えてから。

だからこれまでたくさんのチャンスを逃してきたし、閉塞感、孤立感に苛まれることも珍しくなかったんですよ。

友人関係を築くのが苦手って話はこのブログでも何回かしていると思いますが、これもそう。

もし相手に傷つけられたらとか、相手を傷つけるようなことがあったらとかを考えてしまう。ようは極度のビビり症なんです。

今回の北海道旅行も友人の発案で行くことになったんですが、メンバーにかつて傷つけてしまった相手がいまして。

僕と彼以外はそのことを知らないので避けようがなかったのですが。

で、僕は親友だった彼とは金輪際関わることを断とうとずっと思ってきました。

 

ブログを通してセクマイの話をしたことがあったと思います。

以前の僕はすごく自分のことを否定して生きてきました。セクマイであるという事実を隠してきました。

でも親友である彼ならわかってもらえるかもしれないと、事実を打ち明けました。思考タイプとか言っておきながら、1番楽で愚かな選択でした。

予想通り彼は「セクマイであろうとなかろうと、お前は良い奴だと思うからそんなことはどうでもいい。友達でいることと、お前がセクマイであることは関係ない。」と優しく接してくれました。

でもこのことが僕を苦しめた。

僕は自分で抱えていた重圧を彼にも背負わせてしまった。

そう考えて自己嫌悪に陥りました。

彼は地元を離れ、大学生として新しい生活を始めたため、僕と会う回数は極端に減りました。

会わない時間が全て解決してくれる。

そう思っていましたが、いつまでも自分の心の中に彼に対する罪悪感は消えることはありませんでした。

 

でも僕は高校卒業後の2年間を通して、少しずつ自分を変えてきたつもりです。

 

まず最初に自分がセクマイであることを認めることから始めました。

天地がひっくり返っても、僕がセクマイであることは変わらない。

どれだけ蔑まれても、どれだけ馬鹿にされても、どれだけ嘲笑されても、自分は自分でしかない。

自分のことは自分で認めてあげるしかないんです。

真っ先に自分のことを自分で否定して、誰が認めてくれるっていうんですか。

そう思ったら次第に勇気が湧いて来るようになりました。

僕は現在セクマイであることは彼を除いて話したことはありません。

そして、自分が楽になるために、大切な人にまで十字架を背負わせてしまうことは愚かだと、今の自分なら言えるようになりました。

 

次に僕は、歩み始めた後に考えることは一切やめました。

僕はネガティブな人間で、考えれば考えるほど、一抹の不安が10にも100にも増大してしまう。

だから目一杯考え抜いて、自分が1番納得できる、悔いの残らない選択を決めたら、振り返らずに最後までがむしゃらに走りきることにしました。

がむしゃらって最強なんですよ。

考える隙がないくらい一生懸命にいるだけで、いつもみたく不安や孤独に押しつぶされることがないんです。

余裕がないと言ってもいい。

僕はずっと孤独でした。

自分らしくいることができなかった。

人と違うのが嫌だった。

人に嫌われるのが怖かった。

そうしているうちに何層も殻が積み重なって、身動きが取れなくなりました。

でも今は違う。

今を死に物狂いで生きることで、少ないけど自分のことを気にしてくれる友達ができました。

自分らしく生きることができるようになりました。

これが自分だ!と自信を持って言えるようになりました。

それが言えるようになるまで21年を要しました。

 

僕は自分のことを馬鹿だと思っています。

どうしようもない馬鹿野郎です。

 

でも、今精一杯生きられているんだから、そんな自分でも良いのかなと思います。

今回の旅行で、彼に申し訳ないと一言伝えることが、今自分が1番やりたいことです。

 

自分事をだらだらとすいません。