14年の歳月をもってしても親しめなかった。

僕割と小学生くらいから、授業って嫌いなんですね。

小学生から授業って始まるからたぶんこれは生まれつきだと思うんですよ。

生まれつき授業嫌い。

でも、勉強が嫌いとか、先生が嫌いとかそういう話で授業が嫌いなわけじゃなかったんですね。

これたぶん編集なしの映像を標準倍速で再生されてるからじゃないかなーって思ってて。てか、確信してて。

とりあえず書いてあることを読むのはやめないか?と。

二度手間。

日本語で展開される番組を日本語字幕で見てるみたいな。

次に板書スタイルの授業。

書くことってかったるいじゃないですか。

資料配布すればよくないですか?

教材に書いてあることを黒板に写して、黒板を見てノートに記述する。

なにこれ。修行?

そんなに手間が好きならずーっとドミノでも立ててろ。

完成したら鼻で笑ってぶっ倒してやるから。

お疲れ様でーすっつって。

鼻で笑ったついでに鼻息で倒してやるから。

 

でも、こんなに一方的に意見したって何も解決しないじゃないですか。

お互いに意見して妥協できるところを見つけて、双方の納得解に持っていくべきでしょ。

だから、板書主義の主張も想像しなきゃと思って。

 

よく聞くのが書いて覚えるってこと。

眺めてるだけじゃ覚えが悪いから、見て、書いて、読んで、聞いて覚えよう!ってこと。

でもそれって人それぞれじゃないかな。

ひたすら声に出して読むのが合ってる人もいれば、ひたすら字を追いかけるのが合ってる人もいるわけで。

あれ、でもこれブーメランだぞ。

さっき確かに板書なんかしてないで資料配布しろよ、って言ったような。

板書写すのが一番頭に入るんです!っていうタイプの人無視してた。

 

後は、手を動かしてないと眠くなるからみたいなの聞いたことある。

いや、編集なし標準再生のお経唱えられるほうが眠くなるんですが。

もう右手だけがオートで動いて、そこに意識なし!みたいになってるから。

完全に意識は隣の席の気になる子だから。

やば、失言。

でもこれも自分の感じ方がズレてるだけかも。

 

結局現状維持なのは、誰もが不便を感じていないからかも。

手が空いてる人は授業聞きながら、内職してれば済む話だし。

でも資料作れば授業時間の半分で終わらせることだってできるわけで、そう考えると黒板いっぱいに書き込んでいる先生の後頭部を見る時間は不毛。

もう僕は、大学で実学系しか講義残ってないので、座学を受ける機会も少なくなるだろうから非常にどうでもいいことなんだけど。

 

今日のニュース番組で、黒板が絶滅危惧種だと放送されていて、やっとか!と思ったらホワイトボードの台頭だった。

なにこれ。