小さな命に気づかされた命の重み。

久しぶりの更新です。

今年の暑さは尋常じゃないと巷で噂されてますが、本当に太陽光の厳しさがド級すぎてブログ更新をサボってしまいました。

外出を控えて家の中でひっきーしてたら日々の気づきとか面白いと思ったこととかってないわけで、ブログ書くほうが無理といいますか。

言い訳終わり。

 

うちには飼い猫が1匹いらっしゃるんですけど、この夏大病を患いまして。

尿路閉塞からの尿毒症という流れで、あと1日病院に来るのが遅ければ死んでしまっていたかもしれないという話が獣医さんからありました。

僕あんまり命に関わるような経験をしたことないし、その現場にも居合わせたこともないので今回の件はすごくショッキングだったんですね。

動物病院で尿毒症と診断された当日の朝、飼い猫があちこちで嘔吐を繰り返し、聞いたこともないうめき声をあげ、普段ならあり得ないことなのですが、僕の体にもたれかかってきたんです。

でも僕はその日、大学で定期試験があったものですから助けを求めてきた飼い猫を1匹、家で留守番させてしまったんです。

何度も悩みました。

ここで大学へ向かい、帰ってきた頃には手遅れだったなんてことになれば一生後悔する。

しかし定期試験をすっぽかしてしまえば確実に単位を落としてしまう。

冷静に考えれば秤にかけるまでもなく飼い猫を動物病院に連れて行くべきだったんですけど、僕はその日、大学に行きました。

試験はお昼に終わったものの、帰宅に2時間を要するので帰りは14時過ぎ。

朝家を出たのが7時30分ですから6時間と30分が経過しています。

家には誰もいないはず。

しかしその日たまたま早く仕事を終えた母が、飼い猫の様子を見てすぐに病院へ連れて行ってくれていました。

試験が終わった12時ごろ、LINEの通知を開くとそこには一文、「あと1日遅ければ死んでいたって」。

朝、僕に寄りかかり、助けを求めてきた飼い猫の姿が浮かびました。

ごめんな。ごめんな。

何度も何度も心の中で謝りました。

今ではすっかり良くなり、食事療法のみで再発を防いでいますが、もしあの日、母親の仕事が長引いていたら、誰もいない静かな部屋の中で、苦しみながら死んでいったかもしれません。

元気な姿で遊んでいる飼い猫を見ると、この瞬間が奇跡であることをひしひしと感じます。

命の重さを知った21歳の一夏でした。