臆病な僕はいとも簡単に命の奪い合いを容認してしまう。

日常的に行われている特定の個人を吊るし上げる犯人探しゲーム。

果たしてその犯人探しが終わったら万事解決で良いのか。犯人を殺して終わりで良いのか。

犯人は確率的に生まれてくるものではない。

環境さえ整えば、誰でも犯人になりうる。

だからこそ犯行にいたった要因に目を向け、第2、第3の犯人が出ないように対策を講じなければならない。

次に犯人として吊られるのがもしかしたら自分自身かもしれないから。

そんなことわかった上で、元凶を潰すことに僕は反対しない。

ただし、潰す理由に責任という言葉を持ち出すことはあってはならないとも思っている。

人を殺めるとき、その人が〇〇をしたんだから殺されて当然だなんて考えは間違っているし、まして殺される側にも責任があったなんてのは言語道断。

人が人を殺す理由は自分の生命が脅かされたから。そう考えるべきだと思っている。

死刑制度なんてものはその最たる例で、なぜ大罪人を死に至らしめるのか。それは、自分たちの生命が脅かされることへの根源的恐怖に起因する。まさか、大罪人を裁くことが正義だなんて思っている人なんていないだろう。

怒りで人は殺せない。憎しみで人は殺せない。

もっと本能的なもので、人は人を殺す。