悩みとかいう高尚なものは持っていません。

暑くなってきました。

夏も近いですかね。

夏といえば汗。汗といえばにおい。

今回はそんなお話。

 

汗をかくということが、非常に大切な生理現象だとは自覚しているものの、汗のかき過ぎは困ったものでして、自意識に自意識を塗り重ねた僕のような人間はすぐに周りの人に迷惑をかけてないかな、不快な思いさせてないかな、って考えてしまうんですね。

例えば電車内。混み合う時間帯にはパーソナルスペースなんて確保できないわけで、初対面のおっちゃんとも、おばあちゃんとも、サラリーマンとも、お姉さんとも誰彼構わず超至近距離は当たり前。そこに汗男を投入したらどうでしょう。あら不思議!みるみるパーソナルスペースが確保できるではないですか!というわけにはいかず、迷惑そうな視線を四方八方から浴びます。気分は弁慶の立ち往生。全く生きた心地がしません。仮に座席に座れたとしても、汗で若干座席が湿るなんてことがあっては生きて帰れません。国民投票により、極刑は免れないでしょう。即吊られます。

ただ、湿っぽいだけならまだましです。においとのコラボ技がキツい。もれなく付いてくるにおいが。そんなもれなくいらない。このコンボが出来上がると、接触のみならず空間的に迷惑をかける。これで僕も公害の仲間入りです。やったー。

 

ところで、僕は自分のにおいは気にかけて注意を払いますが、別ににおいに悩まされてはいません。

そこで、自分の体臭が気になる方に、悪臭の化身こと僕からのメッセージを送りたいと思います。

端的に言えば、深刻に悩む必要ないです。たかがにおいごときに悩んでいる時間が勿体無い。確かに周りに迷惑してる人は少なからずいるでしょう。でもにおいなんてものは基本、生活習慣次第でかなり改善されます。それでも改善されないようなら医療機関で検診、治療を受けるのも視野に入れて行動すれば、大きく変わるでしょう。もし、自分の体臭のせいで対人関係がうまくいかなくなったとか、自分に自信が持てなくなったと感じているならば、それは大きな間違いです。においに限らず、人は何か上手くいかないことがあると、現実から目を背けて言い訳を探します。例えば、もう若くないから新しいことにチャレンジできないと言っている人。これは若くないという偽りの要因を生み出して挑戦を避けているだけです。もしも自分が若い頃に戻れたとしても新たに言い訳を作り出して逃げ道を用意するでしょう。中学の保健で習う適応規制のうち、逃避、合理化にあたります。逃避は、困難な場面や状況を避けること。合理化は、自分の欠点や失敗を認めず、社会的に容認されそうな(=もっともらしい)理由をつけて、それを正当化すること。適応規制は何も悪いことではありません。しかし、逃げることに慣れてしまうと、あらゆる失敗を偽りの要因に回帰させることで、自分が〇〇だからしょうがないと受け入れてしまいます。さらに言うと、自分を守るための手段として合理化を選択する人の多くは、偽りの要因を無視され、真実を突きつけられると攻撃に入ります。

例えば、子供が決められた時間を超えてゲームしてた時に、親からゲームの電源を切られてしまったとします。本来ルールを守らなかった子供に非があるのですが、子供は「電源を切らなくてもいいじゃないか!」と怒り出しました。親が「悪かった。けどルールを守らないのはよくないことだろ。」と言うと子供は余計に反抗的な態度をとりました。

というように。

体臭を言い訳に何もかも諦めてしまうのは馬鹿臭いです。

体臭に限らず全ての悩みは基本無駄です。

悩んでる暇があるなら、考えましょう。

 

汗とにおいの話をしていたはずが、思わぬところに着地してしまいました。

何が言いたいのかって?僕に聞かないでください。

ただ、偉そうなこと言ってんなと思った人は正解。